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■不動産トラブル■

【請求権と抗弁権】


1 日本では、人は生まれると生存が保護される。あえて日本と書いたが、戦乱の国家でない限り、世界の常識だ。親が親権(注:民法824条で、親としての権利であるとともに義務でもある) を放棄して乳飲み子を捨てないかぎり、法の保護のもと小・ 中学と義務教育のなかで成長する。しかし、未成年者が20歳の成人(注:民法で未成年である16歳の女子・18歳の男子でも結婚すれば成人と擬制される)に達すると、自ら権利を行使しなければ誰も助けてはくれない。

 行使された権利の形が請求権だ。その中身は、自分は正しいという言い分と裏付ける事実の主張だ。その言い分が既存の法律に合致すれば請求権は発生する。法律に保護規定がなければ、勝手な言い分として無視される。訴訟に負けても良いから、自己の正義を主張し、世間に警鐘を乱打したいとの道もある。また、裁判に訴えても負けるので、それなら立法運動を起こして政治を変える道を探る方法もある。いま法律がないからと諦めたなら社会の進歩はない。

2 例えば、日照権という言葉は、我々の常識にはある。しかし、法律にはない。日影規制条例はあるが、日照権は権利として立法されていない。日本の低層木造住宅の日当たりは重要であり、四季折々の良好な住環境を形成する。アラブの熱帯砂漠と異なり、この日本の常識を根拠に、最高裁の判例は「法が保護するに足る人格的な利益」 と認めて、慰謝料ともいうべき損害賠償請求権が生じた。立法でなく司法から権利がうまれた。これを「生ける法」 と法律学者が呼ぶ由縁だ。

 もちろん最高裁判例になるまで、多くの敗訴判例が集積した。しかし、20階の中高層マンションが建築されてしまえば、寝たきり老人を介護し、庭の草花」」の手入れを余生の楽しみとする平屋の老人夫妻にとって賠償金をもらっても日陰のジメジメした暗い生活が改善される分けではない。真っ暗闇の被害を防ぐには、マンション完成前に建築工事差止請求権がなけば役にならない。

 裁判所は、日影の健康被害とマンション業者の暴利を天秤に量り、法律要件事実として、「被害の重大さ」 と「低層都市地域の実態」 を比較考量して「受忍限度論」 を打ち立て、人格権で建築差止を仮処分で認めた。つまり、寝たきり老人に、日影を耐え忍ばさせるのは、人として生きる限界を超えている、法律家の感覚として不正義と判断したのだ。ここに、我々の常識と法の乖離が埋められ整合性をもった。

ここでの日照権の主張は、実は「 抗弁権」 の役割なのだ。

3 建築主の請求権は、敷地の所有権である。自己の所有地にどんな建物を作ろうと自由だ。隣地の日陰に配慮しない。しかし、憲法第29条は私的権利である所有権も公共の福祉に反することは出来ないという。所有地の天空に権利が及ぶとしても、国家の領空権と異なり、敷地の上を通過する飛行機を止める権利はない。地下鉄が通るとなると地役権の設定が必要だろうが、大深度地下の国家利用権が話題になったように高層ビルの鉄筋コンクリート製の支持杭が届かない100メートル以下の地下に私人の所有権は及ばない。

 所有権絶対の主張に対する抗弁権として、日照権は生まれた。法律上の理屈を貫くと、個々具体的な人間の被害は救済できない。法律が個々の人ごとに解釈が異なれば不平等となる。前にも述べたが法の恣意的な運用を防ぐためにも法は形式的に厳格に適用されねばならない。逆に、重箱の隅をつつく法の画一的な運用を考える官僚組織からは広い視野からの正義の実現は図れない。生身の人間の被害を救済しようという人格権の発想が「日照権」を産んだのだ。


建築差し止め訴訟


【都心の住民運動】

1 建築公害の住民運動は行政と企業の手で進められてゆく都市改造が、決して自分達で居住する者の利益でないことを身近な土地にビルが建築されるときに気づき闘いの火種が生まれる。そのビルによって蒙る不利益は日影、通風阻害、圧迫感、災害の危険等漠然たる不安もあるが要するに都市空間が一挙に奪われることによる苦痛である。その精神的、肉体的苦痛を全く配慮しない企業の理不尽さ、法と金をバックにした横暴さ、隣人を無視する横柄な態度に不満が蓄積される。

 その蓄積された不満を建築主にぶつけても、建築確認という行政による合法建築物とのお墨付を根拠に全く妥協の余地のない回答……設計を変えるつもりはない。法律に従って自分の所有地に建物を建てるのは自由だ。もし工事迷惑料を欲しければお金は出すが、ゆすり、たかりの類ですな……言外に表現される接渉担当者の対応に反論は難しい。法治国家の市民としては、被害を実感として予測できても、合法建築という壁にはばまれ、誰に相談しどのように闘っていけばいいのか不安がつのる。

 各人の被害程度は異なっても、被害者はお互い集まり運動体(高層マンション建築反対の会等名称は様々)を形成し、問題に熱心な者、偶然地域の代表者だった者(町会役員、自治会長、P.T.A.会長)たちがリーダーに選出され行動が開始される。
 行動のルートは建築主との直接交渉(地元での説明会等)だけでなく行政への相談、建築業者へ行政指導の要請、地元選出の区議市議へ自民党から共産党まで政治力による仲介を求める。更にまた住民運動家や弁護士に相談をもちかける。

2 住民運動の性格を基礎づけるものは、地域的共通性と加害者(蒙る被害)の共通性である。発生は自然発生的に受動的になされ、具体的な被害の影響をうける各階層の人々を結集して組織がつくられる。住民運動は労働運動、農民運動と異なる市民運動である。基本的性格は革新であり、現在の社会の仕組、法秩序で十分に処理し得ない新しい要求をもち、加害者に対する抗議行動が展開される。

 住民運動の組織は地域的限定を有するがその地域に居住する全階層の人々に関与する機会を与え結集してゆく。従って、大企業の役員、商店主、サラリーマン、学者、公務員、医師、主婦等運動に参加する人々の地位・職業は雑多でこれが良きにつけ悪しきにつけ運動体の力量を左右する。

 住民運動は恒常的運動体として存在しつづけない。その特定の要求が解決されると一応そこで解散される。特に建築公害では建築されると住民は同じ敵と対決する機会はなく、この闘争では負けたが次回機会を狙って勝てば良いとは言えない。(つまり、住民運動の要求は社会制度の矛盾の一つの面に集中したものであり、闘争自体、部分的勝利への展望を目標としているから、と言えよう)

 そのうえ、日照権を求める要求は、長期的継続的要求と異なり一過性である。この一過性は、運動自体、実力阻止一本槍の一揆主義的運動になりやすいという性格を枠づけている。又、衣・食・住のうち住宅にからむ生存のための闘いなので、運動を発展・継続させる強いエネルギー持つ。

 日照事件の住民運動の主力は青年層でなく、壮年、老年層である。これは、家や土地を獲得している年代が被害者となるからである。そのうち家庭について日照被害の一番影響をうける主婦の行動力はすばらしい。対区交渉、実力阻止行動においても先頭にたつ。主婦は女性の知的水準の高低(大学卒、短大卒、高校・女学校卒)を問わず家庭にひきこもり、社会制度と直面していなかっただけに、正しいものは正しい、誤りは誤りと発言して夫の職業、社会的地位を無視しても運動に参加する例もあった。

【弁護士の関与】

1 住民運動のもつ要求のいくつかは本来地方自治体の行政機能によって解決されるべきものが多い。そこで弁護士としては、裁判手続に進行する前に、行政の機能の内でとり得べき手段をすべてとり、(陳情請願、行政不服申立、行政義務等)現在の行政の役割、限界、矛盾を住民とともに追求するのが大切となる。

 住民運動は、何をしたらよいかわからない状況から出発するのであり、住民の幹部・リーダーは知識欲が旺盛である。しかも、行政や企業との闘いの中で法律知識を勉強し、個々詳細な行政法規・通達の類まで知るようになっている。しかし、弁護士より個々の法律知識が豊富でもどこに相手の弱点があり、争点となるか、未整理、見落としたまま運動が展開していることが多い。

 従って、弁護士は運動内の民主主義を尊重し、運動内の自覚的・革新的勢力を強めるよう配慮しつつ、住民運動の抗議行動と異議申立ての可能性(行政不服審査手続、民事の差止請求訴訟、仮処分)を全面的に展開させ、部分的な要求を大局的な展望と結びつける必要がある。

 注意すべきは弁護士を法律専門家、社会問題についてのリーダーと住民は見るのでカリスマ的に運動を方向つけることもできるが、勝利への具体的展望を示すことができないと逆に誰もついてこないという状況になることがある。

2 住民の真の要求は何か、又被害実態を十分把握して関与することになるが、弁護士は、住民運動を通じて、一緒に一員として行動し考え、楽しい経験を積むことによって信頼を獲得していくことが手はじめの仕事である。運動の親展の中で、人々の考え方が変わり、感じ方が変わり、人間自身が変わるのが目に見えるようになってゆく。

 リーダーが住民運動の参加者に与える影響は極めて大きい。適切に運動を指導してゆくリーダーがいないと、無目的な実力卒闘争になったり、逆に政治ボスの取引で安易に金銭適安協をする物取りになる。

 住民運動のリーダーは住民から選ばれるだけの資質を有しているが、又一面ではその人物を選んでいる運動体の意識の反映でもある。リーダーが積極的に行動しているときは運動も活発であり、悩んでいるときは運動も低滞している。従って、弁護士が運動の雰囲気を的確につかむには、リーダー達(数人の主たるメンバーであることが多い)の信頼を得ることが重要である。それとともにリーダー自身の人格はその人物の過去の人生の反映であるから頑迷固随な人物はいかんともしがたい。サブリーダーを形成するのが得策と感じることも多い。

【法律闘争の技術】

1 民間企業が建築するにしろ、公共事業としてなされるにしろ、建築物は建築基準法等の「法律に基づいて」建築される。即ち、現代の都市の形成はすべて法に基づいて行われている。 建物を建築したい者は誰しも「合法」の建物を計画し建築確認を得れば自由に建築できるはずである。庶民であろうと大企業であろうと法の枠は平等だからである。しかし、現実に発生している住民運動は法が決して平等に適用されていないこと、多数の庶民に被害を与える行政と大企業の癒着による莫大な利潤の創設の手口を我々に示してくれる。

 そこで弁護団は法律闘争の基礎を、一つに建築公害の被害の実体を事実の積み上げによって目に見えるものにすること、つまり第三者的立場にある人々の理解を得て世論の支持を形成する条件をつくること、二つに大企業の建築計画が利潤を得るためいかに法をねじ曲げて人々の権利(保護されるべき法的利益)を侵害しているかを暴露すること、に置いて出発する。

 刑事裁判では検察側が裁判という土俵にあげるので防禦のため己むを得ず闘うが、民事・行政裁判では住民側から攻撃をしかけるのであり、相手の弱点が的確に把握できない以上むやみに提訴できず、ついつい運動で勝たなければ裁判闘争は勝てない、という逃げ道に回避しがちであることも偽りでない。法廷闘争を住民運動の一手段と考えるとき裁判を提訴することのデメリット(「裁判は金がかかる」「大衆運動が裁判闘争一本槍となって創意ある闘争が組めなくなる」)とメリット(「裁判闘争に踏み切ることによって運動の団結を強める」「運動ノバネとする」「行政手続の違法、不当を公開の法廷で弾劾し、手続の進行に歯止めをかける」)をいかに考えるか難しい問題である。

2 住民運動の力をもって建築主又は行政とたたかい、世論を形成し、被害の未然の回避(建物の工事を断念、設計変更させる)を目的とするのであるから、その手段としてマスコミの利用、垂れ幕、立看板、陳情請願、実力阻止等が通常行われ、右行動が法律上どこまで許されるか相談をうける。
 それとともに行政窓口交渉への参加が要請される。

 法律手続として行政機構に設置されている「都市計画審議会」(都市計画法一八条)「建築審査会」(都市計画法五〇条)「日照紛争調整委員会」(都条例)「収用委員会」(土地収用法)等の行政に直接影響を与える講学上のいわゆる第三者機関への不服申立て、又は争いを展開する。特に準司法的色彩をもつ第三者機関の民主的条項を生かす戦いをすることは重要である。

 日照権事件の場合、副次的効果として建築審査会で違法建築物として争っていると仮処分裁判官は「違法は許さず」との意識にとらわれ、仮処分で矛盾した判断を下せぱ(合法と判断する)、他の国家機関から批難(建築審査会で違法と判断する)されるとの配慮で勢い心証が住民側になる。

【被害の立証と違法の暴露】

1 日照権は都市空間の占拠の事実を時間によって計測できる日光をもって象徴化した権利である。通風阻害、圧迫感、等の肉体的、精神的苦痛は数量化できにくく裁判になじまないが、日光が差込むことは日照空間が確保されていることであり、解放された空間が存在することを示している。

 判例の流れは、当初「権利濫用」で日照権を求め、「受忍限度論」、現在では地域性と被害の二要件を基準とする受忍限度論に発展してきた。差止根拠としては物上請求権、人格権、環境権等一定していない。

 実定法にない権利を発生せしめたのは過去の多数の住民の侵害、住民運動の力であるが、日照被害エネルギー、立面日影図、地域の階層別分類図等建築士の協力を得て科学的に解明し、住民が足で作った資料を基礎に裁判官を説得してきた歴史でもある。つまり多くの人々の要求と主張が背後に存在していたからこそ、建築自由の権利(戦災復興の日本では当然であった)を凌駕でき新しい法理論が生まれたのである。

  企業単独で計画する場合、又、行政と癒着して都市計画として計画する場合でも現行の行政法規を逸脱して最大限の利潤獲得をめざす。合法的方法としては「地域地区」「開発許可」等の規制法の例外許可を得て土地所有権の効率化を図る。脱法的には明文に反する通達行政による法解釈のねじ曲げである。
 そこで闘いの出発点は「許可」処分に対する裁量権の濫用、違法の許可の取消訴訟、行政不服審査請求となる。

2 土地は時代をこえて存在し、平面的にも埋立地によって増加する程度で自然的変化はない。その土地を区分しているのは法律であり、土地所有権である。建物を建築する場合、敷地の形状、面積の範囲内で計画せざるを得ない。さらに、公共のために様々な行政法規(都市計画法等)によって土地の利用について制約の網がかぶせられている。
 そこで自と利潤を追求するには、法の網をはずし、空間的に拡大する手法を採用するのである。

 従って、違法を暴露するために、住民側の弁護士に要求されることは、まず既存の膨大な数の行政法規に精通し、各法の欠陥、特徴、優劣、目的を行政官以上に熟達することであり、そして法規に該当させるためねじ曲げた事実を発見することである。次に、脱法あるいは違法事実を裁判官にいかに理解させるかである。手続的ミスは理解しやすいので発見によって裁判の流れが変わる。
(現場をみる、公図をとる、登記簿をとりよせる、許可書を読む、といった通常民事事件でなされることがいずれにしろ弁護団にとって基本である。)


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